巨椋池と三川合流域をめぐる(その1)

2018年5月29日(火)に、巨椋池界隈と宇治川・木津川・桂川の三川が合流して淀川になるあたりをめぐってきました。巨椋池界隈といっても、今は池はないのですが。

もともとは学生との巡検場所として選択肢に入れていたのですが、結局学生との巡検は茨木で行うことにしました(参考:茨木巡検を実施しました(その1))。しかし、授業の題材にするなど以前から強い関心をもっていた地域だったので、「ひとり巡検」を行ったというわけです。

まえがきが長くなってもしょうがないので、写真と地図を使いながら巡検を振り返ります。近鉄・桃山御陵前駅をスタート地点とし、まずは豊臣秀吉が宇治川の流路を変えたときに架けたという豊後橋(現在は観月橋)を目指しました。以下の地図は、今昔マップ3を用いて、新旧地形図の上にGPS(HOLUX M-241)のログを重ねたものです(写真・画像はクリックすると大きくなります)。

左:正式2万分1地形図、右:地理院地図(以下、今昔マップ3を利用した地図については同様)

桃山御陵前駅から出たところ。雰囲気のある高架下だな、と、いきなり惹きつけられました。

たこの絵が好き

しばらく歩くと団地が見えてきました。ここは江戸時代、伏見奉行所があったところで、明治時代に入ると陸軍の土地となり(正式2万分1地形図で「工兵營」と書かれている)、戦後市営住宅が建てられたとのこと。

伏見工兵第十六大隊跡
側面が蔵のような、ちょっとおもしろい造り。

いかにも人為的につくられたとわかる水路に惹かれ、しばし観察。宇治川派流、これも秀吉ゆかりですね。

向こう側が宇治川の本流
宇治川派流

手前が京阪宇治線の線路(右手が中書島駅、左手が観月橋駅)、奥側には宇治川の鉄橋を渡る近鉄電車が見えます。高架の道路は京都外環状線。

京阪宇治線は1913年6月1日に開通したそうですね。なので、正式2万分1地形図(1912年発行)にはまだ見られません。京阪電車【公式】@okeihan_netのTwitterで、開通当時の観月橋駅の写真が紹介されていました。

さあいよいよ観月橋を渡ります。

観月橋から宇治川の上流側

観月橋を渡って目指す先は小倉堤! 秀吉が巨椋池を分けるようにつくった堤防で(太閤堤とも呼ばれる)、伏見城と奈良を結ぶ大和街道の一部としても重要な役割を果たしました。

かつての小倉堤(大和街道、写真奥が奈良方面)
高低差
古い町家(?)も点在する一方、新しい分譲住宅地も。かつての街道だけあって、狭い道ながら交通量はけっこう多い。
狭い道を抜けると急に雰囲気が変わる。もう少し行くと近鉄・向島駅。

近鉄・向島駅が見えてきました。駅周辺は近代的に整備されていますが、駅のもう少し先に小倉堤(大和街道)の名残が残る道があるはず(正式2万分1地形図で「西目川」と書かれているあたり)と思い、そこを目指しました。

近鉄・向島駅
右の道がかつての小倉堤(大和街道)。左の道よりも少し高くなっている。
向島駅の東側、かつて二の丸池が広がっていたところ

長くなってきたので、「巨椋池と三川合流域をめぐる(その2)」へと続きます。

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