茨木巡検を実施しました(その3)

茨木巡検を実施しました(その2)」からの続きです。

茨木神社のすぐ西側には、ゆるやかなカーブを描きながら茨木の中心部を通る川端通り・さくら通りがあります。「その1」に載せた地図を見ていただければ一目瞭然のように、この通りはかつて流れていた茨木川を廃川にしてつくられた道路です。道路沿いの一帯は「元茨木川緑地」と呼ばれており、遊歩道が整備されるなどして市民の憩いの場となっています(写真はクリックすると大きくなります)。

茨木川に架かっていた「高橋」と茨木童子(6/2朝の回)
江戸末期と現在の「高橋」付近を比較できるパネル(6/2昼の回)

元茨木川緑地を北上します。

木陰のおかげで涼しいです(6/2昼の回)
かつて茨木川に架かっていた丹波橋の一部と思われます(5/1下見)
川端康成は茨木生まれ・茨木育ち(6/2朝の回)

JRの線路と交差するところまで来ました。大阪-京都間の官営鉄道は1877(明治10)年に全通しており、当然正式2万分1地形図にも記載されています。元茨木川緑地からちょっと外れたところに、鉄道開通当時から残っているというレンガ造りのトンネル(田中のまるまた)があります。

田中のまるまた(6/2昼の回)
草を分け入って元茨木川緑地に戻ります(6/2夕方の回)
JRの線路と元茨木川緑地の交差点(5/1下見)
近くの公園で休憩(6/2昼の回)

JRの線路との交差点を過ぎると道は大きくカーブし、田中橋の信号を渡った先からはまちの雰囲気が変わります。かつては大きな工場が立地していた地域でしたが、近年はその特性が変わってきています。

戦前から工場が立地していたこの場所は2009年に空き地になり、その後JR西日本グループが開発した分譲住宅・マンションが建ちました(5/1下見)
道路(元茨木川)の反対側は「茨木市松下町」、すなわち松下電器(パナソニック)の工場が立地していましたが撤退、2017年10月にヤマトの「関西ゲートウェイ」が開所しました(5/1下見)

ずっと歩いてきた元茨木川もいよいよ終わり(というよりは、川の流れと逆行してきたのでむしろ始まりなのですが)にさしかかってきました。その続きは「その4」で。

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