巨椋池と三川合流域をめぐる(その3)

巨椋池と三川合流域をめぐる(その2)」からの続きです。

高速道路に沿って走ってきたバスは右折し、かつて伏見港があったころは港町として栄え、今も酒蔵が点在する町の中を通って京阪・中書島駅付近のバス停に到着。この界隈も興味深いですが、時間の都合上、京阪電車に乗って1駅先の淀駅に向かいます(写真・画像はクリックすると大きくなります)。

今昔マップ3を用いて、新旧地形図の上にGPSログを重ねたもの

京阪・淀駅に到着。ホームから京都競馬場が見えます。正式2万分1地形図でこのあたりを見ると、新旧の宇治川や水路、池が錯綜していてクラクラします。

うーん、複雑。八幡市飛地(木津川旧河道)も気になりますねぇ。
京都競馬場のコースが見えるのですが、あまりうまく撮れず。

京阪の高架下には1928年に建てられた道標がありました。この道標に関する詳細が書かれているページを読んで、現在の淀駅は淀城跡のあたりから移設されたということに初めて気づきました・・・。

四面に書かれている内容については上記リンク先を参照
淀城跡

住宅地を抜け、京阪の線路をまたぎ、旧京阪国道を歩いて三川合流域を目指します。そして、宇治川に架かる御幸橋(淀川御幸橋)まで来ました。写真を撮ったところは三川合流前なのでまだ宇治川だと思うのですが、なぜ「よどがわ」になっているのでしょうか?

京滋バイパスが大きくカーブしています。右奥に見えるのは京阪の鉄橋。
宇治川、京滋バイパス、その奥に隠れて見にくいですが京阪の鉄橋。

宇治川と木津川に挟まれたところ(淀川御幸橋と木津川御幸橋の間の交差点)に、淀川三川合流域さくらであい館があります。2017年にできたばかりの新しい施設のようです。お、地理学者ホイホイが・・・(地理学者は高いところに上る習性がある)。

木津川御幸橋から見た木津川と京阪の鉄橋。私は鉄オタではありませんが、淀駅から八幡市駅までのわずか1駅間で、ゆるやかにカーブしながら宇治川と木津川を渡る電車に乗ったときは「おお」と思いました。
淀川三川合流域さくらであい館
展望塔から見た背割堤。写真左側が木津川、右側が宇治川、写真ではわかりにくいですがさらに右側に桂川が流れています。右奥の山は天王山。

さてここからどうやって帰ろうか、と思案していたところ、レンタサイクルがあり、しかもいくつかの場所で乗り捨てが可能だと知り、自転車を借りてJR山崎駅まで行くことにしました。

他のライダーの真似をして写真撮影

JR山崎駅までのルート(自転車を借りるとき地図をもらえます)ですが、堤防を通ったり、いったん河川敷に下りて橋の下をくぐったり、と、けっこうややこしいです。天王山大橋を渡った後、桂川の河川敷を通ってJR山崎駅方面へ、というルートだったのですが、河川敷に下りる道がどうしてもわからず、大山崎ジャンクションのあたりで立ち往生しました(^^;)(その様子が上掲の地図のGPSログにも残っています・・・。)

桂川の堤防上を走る
天王山大橋にて、レンタサイクルと桂川。ここまでは調子良かったのですが、このあとすぐ迷子に・・・。

結局河川敷はあきらめて、国道171号線を通ってなんとかJR山崎駅にゴール。余裕を失っていたので、写真はありません(笑)。最後はちょっと焦りましたが、充実した巡検になりました。(おわり)

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巨椋池と三川合流域をめぐる(その2)

巨椋池と三川合流域をめぐる(その1)」からの続きです。

いよいよ近鉄・向島駅の西側、かつて広大な巨椋池が広がっていた場所へ足を踏み入れます。わくわくします(写真・画像はクリックすると大きくなります)。

今昔マップ3を用いて新旧地形図にGPSログを重ねたもの
専用通路がありました

巨椋池に関心のある人なら誰でも気になる(?)種智院大学と京都すばる高校を見にいきます。

種智院大学
種智院大学の近くにお立ち寄りの際はぜひ(今回私は見送りました)
もう少し進んだ場所から、農地の中に立地する京都すばる高校

巨椋池を干拓した際につくったと思われる農業用水路に沿って、池の中だったところを突き進みます!

まっすぐ伸びる用水路
このような看板がありますが、それなりに車が来るので気をつけて歩きます
青ネギ畑。遠くに見えるのは京滋バイパス。
こちらはキャベツ畑

何分ぐらい歩いたでしょうか、ようやく高速道路、そして、これも巨椋池ファン(?)なら誰でも行きたくなる(?)久御山ジャンクションが近づいてきました。

種智院大学や京都すばる高校がある場所からずいぶん歩きました
第二京阪道路
池はなくなりましたが、ICの名前として今も残っています
この曲線美をうまく撮れない自分の腕のなさが残念
広大な水面が広がっていたかつての光景を想像する

久御山ジャンクションの中を抜けて、13時過ぎにようやく中間目的地であるイオンタウン久御山・イオン久御山店に到着。お昼ごはんの時間です。

こちらはイオンタウン久御山(イオン久御山店のほうの写真を撮るの忘れた)

イオン久御山店のすぐ近くに「まちの駅クロスピアくみやま」があり、ここから京都京阪バスに乗って京阪・中書島駅を目指します。バスは高速道路に沿って北上します。

レンタサイクルを借りることもできる
干拓されたとはいえ、かつては池の中だった場所なので標高は低いです

巡検後半戦の模様は「巨椋池と三川合流域をめぐる(その3)」へ。

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巨椋池と三川合流域をめぐる(その1)

2018年5月29日(火)に、巨椋池界隈と宇治川・木津川・桂川の三川が合流して淀川になるあたりをめぐってきました。巨椋池界隈といっても、今は池はないのですが。

もともとは学生との巡検場所として選択肢に入れていたのですが、結局学生との巡検は茨木で行うことにしました(参考:茨木巡検を実施しました(その1))。しかし、授業の題材にするなど以前から強い関心をもっていた地域だったので、「ひとり巡検」を行ったというわけです。

まえがきが長くなってもしょうがないので、写真と地図を使いながら巡検を振り返ります。近鉄・桃山御陵前駅をスタート地点とし、まずは豊臣秀吉が宇治川の流路を変えたときに架けたという豊後橋(現在は観月橋)を目指しました。以下の地図は、今昔マップ3を用いて、新旧地形図の上にGPS(HOLUX M-241)のログを重ねたものです(写真・画像はクリックすると大きくなります)。

左:正式2万分1地形図、右:地理院地図(以下、今昔マップ3を利用した地図については同様)

桃山御陵前駅から出たところ。雰囲気のある高架下だな、と、いきなり惹きつけられました。

たこの絵が好き

しばらく歩くと団地が見えてきました。ここは江戸時代、伏見奉行所があったところで、明治時代に入ると陸軍の土地となり(正式2万分1地形図で「工兵營」と書かれている)、戦後市営住宅が建てられたとのこと。

伏見工兵第十六大隊跡
側面が蔵のような、ちょっとおもしろい造り。

いかにも人為的につくられたとわかる水路に惹かれ、しばし観察。宇治川派流、これも秀吉ゆかりですね。

向こう側が宇治川の本流
宇治川派流

手前が京阪宇治線の線路(右手が中書島駅、左手が観月橋駅)、奥側には宇治川の鉄橋を渡る近鉄電車が見えます。高架の道路は京都外環状線。

京阪宇治線は1913年6月1日に開通したそうですね。なので、正式2万分1地形図(1912年発行)にはまだ見られません。京阪電車【公式】@okeihan_netのTwitterで、開通当時の観月橋駅の写真が紹介されていました。

さあいよいよ観月橋を渡ります。

観月橋から宇治川の上流側

観月橋を渡って目指す先は小倉堤! 秀吉が巨椋池を分けるようにつくった堤防で(太閤堤とも呼ばれる)、伏見城と奈良を結ぶ大和街道の一部としても重要な役割を果たしました。

かつての小倉堤(大和街道、写真奥が奈良方面)
高低差
古い町家(?)も点在する一方、新しい分譲住宅地も。かつての街道だけあって、狭い道ながら交通量はけっこう多い。
狭い道を抜けると急に雰囲気が変わる。もう少し行くと近鉄・向島駅。

近鉄・向島駅が見えてきました。駅周辺は近代的に整備されていますが、駅のもう少し先に小倉堤(大和街道)の名残が残る道があるはず(正式2万分1地形図で「西目川」と書かれているあたり)と思い、そこを目指しました。

近鉄・向島駅
右の道がかつての小倉堤(大和街道)。左の道よりも少し高くなっている。
向島駅の東側、かつて二の丸池が広がっていたところ

長くなってきたので、「巨椋池と三川合流域をめぐる(その2)」へと続きます。

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茨木巡検を実施しました(その4)

茨木巡検を実施しました(その3)」からの続きです。

いよいよ元茨木川と現茨木川が交わる地点に到着です。かつて茨木川は北西から東流してきた流れがこの地点で大きくカーブして南に流れていきましたが、現在はカーブせずにまっすぐ流れています。そしてその先で、茨木市内を流れるもう1本の大きな川である安威川と合流しています。詳細については茨木市史などに譲りたいと思いますが、この茨木川の流路変更と安威川との合流工事を行った理由としては、昔からたびたび悩まされてきた水害への対策が挙げられます(写真はクリックすると大きくなります)。

「安威川茨木川合流の碑」、写真の左側に現在の茨木川が流れています(6/2朝の回)
碑の後ろ側には、茨木川・安威川の合流に関する経緯が説明されています(6/2昼の回)

眼前に広がる倉庫地帯を見ながら、大きな道路の高架下を通るなどして、安威川のほうへ向かいます。以下の写真の安威川はまっすぐ流れていますが、「その1」に載せた地図を注意深く見比べると、実は安威川も流路変更が行われたことがわかります。

安威川の上流側を望む(6/2夕方の回)

流路変更後の安威川旧河道は、現在西河原公園として整備されています。スリリングな滑り台をはじめとする遊具が置かれているほか、部分的には水の流れが残され、ホタルの観察などもできるようになっています。

かつて河道だったことがうかがえるものの1つ(5/1下見)
滑り台を見るやいなや(6/2朝の回)
大いにはしゃぐ大学生(6/2朝の回)
水の流れも生かした遊歩道エリア(6/2昼の回)

西河原公園をあとにし、コイがいる用水路や農地の間を縫うような細い道を通しながら、ゴール地点のJR総持寺駅(2018年3月開業)に到着しました。その後、希望者には阪急総持寺駅まで案内しました。参加したみなさん、おつかれさまでした。

コイがいる用水路(5/8下見)

ちなみに、6月2日、3回目の巡検を終えて阪急総持寺駅で撮ったスクリーンショットがこれです(^^;)

過去最長(最多)、かもしれない。

(以上で「茨木巡検」シリーズは終わりです。お読みいただき、ありがとうございました。)

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茨木巡検を実施しました(その3)

茨木巡検を実施しました(その2)」からの続きです。

茨木神社のすぐ西側には、ゆるやかなカーブを描きながら茨木の中心部を通る川端通り・さくら通りがあります。「その1」に載せた地図を見ていただければ一目瞭然のように、この通りはかつて流れていた茨木川を廃川にしてつくられた道路です。道路沿いの一帯は「元茨木川緑地」と呼ばれており、遊歩道が整備されるなどして市民の憩いの場となっています(写真はクリックすると大きくなります)。

茨木川に架かっていた「高橋」と茨木童子(6/2朝の回)
江戸末期と現在の「高橋」付近を比較できるパネル(6/2昼の回)

元茨木川緑地を北上します。

木陰のおかげで涼しいです(6/2昼の回)
かつて茨木川に架かっていた丹波橋の一部と思われます(5/1下見)
川端康成は茨木生まれ・茨木育ち(6/2朝の回)

JRの線路と交差するところまで来ました。大阪-京都間の官営鉄道は1877(明治10)年に全通しており、当然正式2万分1地形図にも記載されています。元茨木川緑地からちょっと外れたところに、鉄道開通当時から残っているというレンガ造りのトンネル(田中のまるまた)があります。

田中のまるまた(6/2昼の回)
草を分け入って元茨木川緑地に戻ります(6/2夕方の回)
JRの線路と元茨木川緑地の交差点(5/1下見)
近くの公園で休憩(6/2昼の回)

JRの線路との交差点を過ぎると道は大きくカーブし、田中橋の信号を渡った先からはまちの雰囲気が変わります。かつては大きな工場が立地していた地域でしたが、近年はその特性が変わってきています。

戦前から工場が立地していたこの場所は2009年に空き地になり、その後JR西日本グループが開発した分譲住宅・マンションが建ちました(5/1下見)
道路(元茨木川)の反対側は「茨木市松下町」、すなわち松下電器(パナソニック)の工場が立地していましたが撤退、2017年10月にヤマトの「関西ゲートウェイ」が開所しました(5/1下見)

ずっと歩いてきた元茨木川もいよいよ終わり(というよりは、川の流れと逆行してきたのでむしろ始まりなのですが)にさしかかってきました。その続きは「その4」で。

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